これからのかけ橋



【匿名】

 私は、三才の時に西宮に引っ越して来て、二十年間ずっと西宮で暮らしてきました。学校で社会科の授業の時などに歴史で関東大震災の事を学んだりとかもありましたが、あまり気にとめる事もなく、“自分達は大丈夫、阪神間は大きな地震なんか来た事はないから、これからも起きないよ”と思っていましたか、今回でそれは間違いだと思い知らされました。
 友人や両親や兄弟、大切な人を失う瞬間はこの世に生きている限りあるでしょう。“死”というのは誰にでもあのるという意味で平等にあります。でも、その“死”というのを、どこで迎えるかという事では平等ではないな、と感じました。私は幸いにも、友人や家族は無事でしたが、この「ふれあい」の本を読んでいる方の中には、家族や友人など大切な人を失ってしまった方もおられると思います。確かに備えも万全でなく、悲しい体験やつらい体験を味わいましたが、やっぱりみんな自分の住んでる街が好きだと思います。ちょっと自分でもくさいセリフかなと思いますが、もう一度言います。「私は西宮市が好きです。」これは、みんなも同じだと思います。神戸に住んでいる人は神戸が、芦屋に住んでいる人は芦屋が。自分の住んでいる街が一番好きだと思います。元通 りになるにはまだまだ遠くて長い道のりになるでしょう。でもその長い道のりをみんなでだったら頑張れるという気持ちです。そして私達の西宮には、考える事がたくさんあります。どうすれば今までの、今まで以上の街を取り戻せるか、取り戻す為には自分は何ができるのかなと。芦屋や神戸や大阪とどんなふうに力を合わせてゆけばいいのか。
 こういう事を考えていると、昔、学校で、毎週一時間「みんなで考える時間」というのがあったのですが、丁度地震が起きたのとおなじぐらいの季節、一月頃だったと思います。今思い出している、その時の題は、「人はなぜ悲しくなるのか」という事でした。この時なぜこういう問題になったのかというと、この日、問題を出す役だったYくんが、学校の帰りに道で出会って知り合いになった生き物(確か犬だったと思う)がある日見ると死んでいて、悲しくなったけれど、なぜ悲しいのかなぁと考えたわけです。小学生だった事もあって、クラス全員真じめに考えました。もちろん私も真剣でした。一時間考えて考えて考えた結果 、色々な意見が出ましたが、私達が得た結果は、そりゃ人間という生き物がヒマだからだ、という答えでした。これを読んで“えっ!!”と思う方もおられると思います。でも、このヒマというのは暇のヒマではなくて余裕という意味のヒマです。この時の答えを全部言うと、“自分以外の人やその他の物を心配する余裕がある。それが「人」なんとすばらしい”という答えです。そして、それにつけ足して、それが人間の最大の取り柄だという事です。この時の小学生だった私達のこの答えを聞くと、変なのと思うかもしれませんが、本当に真けんに出した結果 でした。そして、黒板の横でニコニコして聞いていた先生が、時間の最後につけ足した言葉は“人間というのはこのお互いを心配したりする余裕(気持ち)があるからと言う「点」ではなくてたくさんのつながりという「線」でできているのです”人にこの気持ちがある限りこれからもみんな、どんな事があっても大丈夫、頑張れると信じます。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック