「その時私は」
患者さんの体験記


【匿名】

 一生涯忘れる事の出来ない経験をしたのだ。午前五時四十六分、私はもう目覚めて布団の中でラジオを聞いていると、海岸でとてつもない波が来たような音と共に身体が持ち上がって来た。これは地震だと思う瞬間、横に寝ていた主人に“布団をかぶれ”と命令口調が出てしまった。それから私の細い身体が、上下するので背骨が痛い、その間にも上から色々の物が、布団の上に落ちる。頭の上に物が落ち、お腹の上では、ガラスケースの割れる音、二十秒位 だったのがとても長い時間に思われた。
 やっと止まって布団から出ても真っ暗、主人もぼーと、している。やっとの思いでローソウを探して家の中を見ても、視覚障害者の私にはよく分からぬ 、でも大変な事は分かった。主人はどうもない、十分しても、二十分たっても、二階で寝ている子供の音がしない、これは大変と思い、上がってみようと思っている時「前の家がなくなって小父さんが壊れた家の中で助けを求めている」と云われビックリして大変な事になったと思った。主人が「お前はうろうろしないでじっとしていろ」と云のれたので、じっとしていたが、余震が怖くて、身体が揺れていた。
 後かたづけも、主人と子供がして、自分は何もしなかったが、助かったのが不思議な程である。それもそのはず、近所の家は、十一軒程が全壊ですもの。 今でも戸、タンス等の音がすると、ビックリしますもの。
 助かった命を、今後大切にして、生きたいと思っています。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック