「阪神大震災を体験して」
患者さんの体験記


【匿名】

 この度の阪神大震炎は、長い間大きな地震の無かった。この地の住民である私達に思いも掛けない災害でした。
 一月十七日、まだ朝早い五時四十六分、不気味な地鳴りと、ともに、大きな揺れが襲ってきました。口では言い表せない地響き「ガチヤーン、ガチャーン」家じゅうの物という物の倒れる音、壊れる音、身の安全だけを考えてじっと、おさまるのを待った。
 時間は本当に長く感じられました。家の中は物で散乱し足の踏み場もなくただ茫然とするばかりでしたが、少し落ち着いてくると、今日受けるはずの透析は大丈夫だろうか。クリニックもどうなったか、と心配になりました。とりあえず病院に電話で連絡すると「夕方に一度来てください」とのこと。病院に行ってみると、ここも大変な状態で水も不足して先生や看護婦さんは、多くの患者さんの対応に苦慮しておられました。
 先生から「知っている病院があれば手配して下さい」といわれ、がっかりして帰ってきました。でも私は幸いなことに弟の世話で姫路の、石田クリニックに受け入れていただくことになり、翌日からお世話になりました。被災者ということで皆さんにいろいろと気をつかっていただき、とてもありがたく感謝の気持ちでいっぱいでした。
 それから約四十日、家族と共に私の避難生活が続きました。半壊状態の家も気になり、時々帰ってきて家の片付けをしましたが、道路も寸断され、渋滞のひどい道を、何度も往復するのには本当に疲れました。西宮に早く水とガスが出て、我か家で暮らしたいと得ち望む日々でした。
 今、振り返ってみると、震災で命を失った人も多く、私の場合はまだ不幸中の幸いであったと思います。逆に、多くの人のお世話になって、含までとは違った人のあたたかさを知ることができました。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック