阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック

あとがき





本文に書ききれなかった事を付け加えて箇条書きにしておく。

 1. 日本透析医会発行の患者情報カードは今回役立たなかったようである。 当院では登録が煩雑なため登録していなかった。もっと簡単な登録法にしていただきたい。実際、透析をまわすだけならDry weightさえ分かっていれば、ほとんど問題ない。あとは重篤な合併症の有無だけであると思われる。あらかじめ、各医院で自分の透析条件を知っておくよう患者教育しておくことが肝要である。

 2. 今回の震災で透析供給装置と金属パイプとの連結部は損傷を受けたが、即席の修理でなおすことができた。しかしもう少し揺れが強ければ両方共修理不能になる恐れがあった。揺れのエネルギーを吸収できなくなるからである。それ故、器械と器械、器械と金属パイプとの間に1ケ所弱い部分をあらかじめ作っておき、決定的な損傷を防ぐ方法が必要と思われる。 (これは器械屋さんのアイディアである。)臨床工学士に具体案を作って欲しいと思っている。

 3. 透析原液のポリタンクが大変重宝した。10l入りのポリタンクは両手で水を運ぶとき丁度良い重さなので患者さんからの要求も多く、空タンクは玄関の前に置き持って帰ってもらった。

 4. 透析関連業者は今回非常に頑張ってくれた。被災翌々日ダイアライザーや透析回路を12時間かけて持って来てくれた業者もいた。また、彼らからの情報は足でかせいだ内容なので信憑性が高かった。業者を通 信の手段として頼むことも一法であると思われる。  公務員の頑張りも大したものであった。水道局・消防局・警察・自衛隊いずれも使命感に燃えた仕事をしていた。医者は患者との最前線に立つため、ともすれば後方支援の仕事のがんばりを見落としがちになる。病院の裏木戸から入ってくる人達に感謝する気持を忘れないでいたい。

 5. とにかく最初の3日間をしのげる準備体制を自院でとっておくこと、これに尽きる。 3〜4日すると公共の災害対策本部の動きと自院の対策がかみ合ってくる。それまでは透析復旧であれ、患者移送であれ、公的援助は部分的なものであると考えておかねばならない。

 6. これを書いている時、サハリンの大震災が発生した。TVで見る光景、人の表情、発する言葉、全部今回と同じで涙がでそうになった。ロシアは外国からの救援を要請していない。これ又同じである。がれきの山を早急にとり除けば即死でない人は助けられる。権力意識やなわ張り意識が先行する中で本来助けられる人も死んでいかざるを得ない。次に有事が起こった際、こんな事のないよう心から祈りたい。

 

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